『明日の記憶』
2時間、最初から、序盤、中盤、終盤、最後まで、2時間泣き通した、作品です。
この作品は、劇団そふとばんく。の『よつあしダディ!』で演出をしている、
鈴木結沙さんがおすすめしてくれた作品です。
2時間泣いた、というのは、本当に、随所、随所で、各キャラクターたちの心情を慮ると、
涙が渇くことなく、次々に流れました。
怒りにも、悲しみにも、それを見ている立場のキャラクターとしても、
必死に、なんとか、しようとすることも、
鬼気迫るものだったり、
キャラクター達の状況と戸惑いと心の揺れ動きが、とてもよく伝わってくるんです。
ただ、不思議な事は、観終わって、いいえ、観ている最中でも、
苦しくないんです。
痛いほどの悲しみとか、突き刺さるような衝撃とか、そういうものじゃない。
だけど、キャラクター達の心が伝わってくると、涙が流れているんです。
だから、途中、どうしてこんなに泣いてるんだろう、私、と思いながら、
目から涙がこぼれてました。
印象に残っているシーンはどこだ、と言われると、
会社を退職し会社から出てくるシーン。
取引先の課長さんから電話がかかってきて、病気が理由であると知り、言葉を送るシーン。
若いころの奥さんが手招きしているところ。
奥さんが大声で外で泣くところ。
結婚式のシーン。
振り返れば、いくつでも、映像が頭の中に流れます。
あと、生まれた赤ちゃんに「芽吹」となづけたシーンも。
柔らかいんですよね。
激しい激情であると、よく分かるシーンでも、
何か、包まれているというか、ぼうっとしたような、
とにかく、ドキュメンタリーの激しさじゃないんです。
キレイにまとまっていると、言えるんですが、どうも、この「キレイ」という言葉は語弊があるような気がします。
うまく言葉で言い表せないんですが、すみません。
役者をやっている身として、演技の重たさ、重圧感、充足感、という満ち満ちたものが、
一人ひとり違うな、というものを感じました。
渡辺謙さんは、力があるなって、思いました。すごく、力を感じました。
生きている力、というものです。
そして、大きいな、ということも、思いました。
樋口可南子さんが、とても自然体に見えました。凄いと思います。自然に見えるって。
それから、大滝秀治さんは、力というよりパワーで、貫禄とか、人生の時間を感じました。
観終わった後に、あれだけ泣いたのに、疲れていないのがとても不思議で、
これは、堤幸彦監督さんやスタッフさんの力なんだろうな、って思いました。
食事で例えるなら、
ドキュメンタリーが自宅で食べるありあわせの食事のようなリアルな感じで、
この映画は外食、自分が普段行かないようなランクの上の食事のような仮想現実、
小説を読んでいるような疑似体験みたいなもの。
そんな風に思いました。
最後の方で、私は、もっと演技をしっかりとやろう、自分の意識の中ではクリアに、
ちゃんと芝居をしよう、精進しよう、そう思いました。
この映画のラストの絵が、とても、いいな。と、思いました。
映画の最初と、ここにたどり着くまでの経過と、思いが詰まっていて、
とても素敵なラストでした。
観ていた私の心を、ぎゅっとしながらも、満ち足りたものにしてくれる、素敵なラストでした。
師匠がコップを焼きながら、うたを歌うシーンでは、
渡辺謙さんにも先輩がいるんだ、そして、先輩から学ぶことがまだあるんだ、と、
ふと、心の中をそんな思いが通り過ぎました。
それはきっと、そのシーンの渡辺謙さんの心が、20代の渡辺謙さんだったからなのかな、
って、振り返ってみると、そう思います。
私は、この作品を、一度しか観ていないので、気が付かなかったことがたくさんあると思います。
たぶん、いろんな仕掛けが、施されているんだと思うんです、この作品。
いろんな糸が、意図が絡んで、作品になっているんじゃないかって、思うんです。
とても、観客にやさしい映画だな、って、思います。